織絵屋のブログ

おきもののことお気軽にご相談ください。初めての方でも、わかりやすくご案内させて頂きます。

織絵屋の松山です。今回は持っていて重宝する色無地のきものについて述べます。

 

日本人は正解で最も多くの色を識別できる民族と言われます。

 

江戸時代には、茶色と鼠色だけでも四十八茶百鼠(しじゅうはちちゃひゃくねず)と言われるほど、多くの色数がありました。

 

「染司よしおか」の五代目当主・吉岡幸雄氏は、「これは、日本人の瞳が黒いことと、万葉の時代より、四季による自然の移ろいを身近に引き寄せたいと願った民族性による」と述べています。

 

様々な自然の色に趣のある名を付け、歌に詠み、白絹に染め、自然と共に生きた古の日本人にとって、きものは自然を纏う(まとう)ことと同じ意味だったのではないでしょうか?

 

「きものはTPOが面倒だ!」と言って、きものを敬遠する現代女性にも、ぜひ、揃えて欲しいきものが『色無地』です。

 

色無地はオールマイティーなきものです。家紋を入れて、結婚式や披露宴、結納やお宮参り、入卒、またお茶席などに着られます。

 

季節感を大切にするお茶席にも重宝します。

 

あえて家紋を入れなければ、ランチや観劇などのおしゃれ着としても楽しめるきものです。

 

色無地を揃えるときは、生地の良さにはこだわってください。

 

また、染め方ですが一般的な炊き染めではなく、引き染めの方が透明感のある色に染まり、顔映りが良く見えます。

 織絵屋の松山です。平成6年に生まれた女の子の名前No,1は「紬」ちゃんだったそうです。今回は紬と絣について述べます。

 

 江戸初期まで、日本は中国から莫大な量の生糸を輸入していました。1685年、その代金としての金銀の流出を危惧した幕府が生糸の輸入を制限したことで、絹織物産地ではたちまち原料不足に陥りました。

 

 そのために各藩は養蚕を奨励し、養蚕の産地が全国的に広がっていったのです。

 

 養蚕が盛んになった地域では、生糸に使えないくず繭を真綿にして、糸を紡ぎ、自家用に織りました。

 

 これが紬と呼ばれるようになりました。糸が太くて節があるので粗い織物ですが、温かくてシワになりにくいのが特徴です。

 

 紬の着物を少しでも華やかにと、織り糸を染める前に、他の糸で括り、染まらない部分を作り、その糸で織ると文様が出来る技術を取り入れました。

 この文様が「絣」と呼ばれました。色が染まった部分と染まらない部分の境目がかすれて見えることから、その名が付いたそうです。

 

 農民は絹物の着用を禁じられていましたが、紬は例外とされ、母親は紬の着物を「お蚕さん」と呼び、農作業の合間に紬を織りあげ、娘の嫁入り道具として持たせてあげたそうです。

 

だから、紬には母親のような暖かなイメージがあるのですね。

 織絵屋の松山です。今回は、伊勢型紙を使って染めた本物の江戸小紋について述べます。

 

 伊勢型紙を使って染めた本物の江戸小紋は不思議な着物と言えます。

 

 数年前、私が姪の結婚式に江戸小紋を着用して出席した際、同じテーブルの若い女性に「その着物、かっこいいですね!」と言われ、江戸小紋について熱弁した思い出があります。

 

 また、こんなこともありました。「その色系は私には似合わないわ!」というお客様が、実際にその江戸小紋を試着してみたら、顔を輝かせて「これ、いい!」と、即、購入を決められました。

 

 錐彫り(きりぼり)の伊勢型紙を使って染められた江戸小紋は、ほとんど無地に見えますが極小の点で文様が染められています。

 

 半円柱状の錐を回転させながら多いモノでは3cm四方の中に1,000個もの穴が開けられた伊勢型紙は、鮫や角通し、行儀などの様々な文様があります。

 

 すべて同じ点に見える職人の手技ですが、拡大すると微妙に違いが見えます。これが「ゆらぎ」なんですね。だから、着る人を引き立てるのだと思います。

 

 この錐彫りの他に、「縞彫り」「突き彫り」「道具彫り」の伊勢型紙を使って染めた江戸小紋があります。

 

 江戸小紋は、今、訪日の外国人が使う「クール」という言葉にぴったりの着物と言えます。

織絵屋の松山です。今回は「ビロードのような手触り」「ビロードのような舌触り」など、なめらかさの最上級の比喩の言葉にも使われ、織物の宝石と呼ばれるビロード織について述べます。

 

ビロード織は13世紀のイタリアで発祥し、あっという間にヨーロッパの貴族たちを魅了していきました。

 

日本には、ポルトガルから輸入された鉄砲を包んでいた布として、初めて伝わりました。

 

その織り方は秘密でしたが、細い銅線が残ったビロードの布が発見されたのを機に、その織り方を解明し、早くも江戸初期には西陣で織られるようになったそうです。

 

日本の匠、おそるべしですね。

 

ビロード織は「輪奈織」とも呼ばれ、経糸の一部を浮かし、その部分に針金を緯糸として織っていきます。

 

織り上がった生地から針金を抜くと、タオル地のようにパイル状(糸が飛び出した状態)になります。

 

そのままのモノを「輪奈ビロード」と呼び、パイルの頭部分を切ったモノを「切りビロード」と呼びます。

 

ビロード織は、大正から昭和の初期にかけて、羽織やコート、ショールの生地として重宝され、女性があこがれる織物でした。

 

しかし、戦後はその織り方の難しさから撤退する機屋が増え、現在では1社のみになっています。

 

上品で、軽くて暖かい「輪奈ビロード」のコートは、北国の女性には1枚は持って欲しいコートです。

 織絵屋の松山です!今回は、下記のようなお悩みを解決してくれる「悉皆業」について述べます。

「母の形見の着物、若いときに自分の給料で初めて買った記念の着物、成人式に着た振袖などがある。色んな思い出があって捨てられない。」「娘に着せたいけど、シミ、汚れがあるし、寸法も足りない、好みの色じゃないかも?」「これって、どうにか活かせる方法があるの?」

 

 悉皆(しっかい)とは「ことごとく皆」という意味です。

 

 着物は、白い生地があり、染める人がいて、箔や刺繍を施す人がいて、また、蒸す人、洗う人、シミを取る人…など、様々な分業によって完成します。

 

 これらの職人をプロデュースする、着物に関する全てに精通した人、つまり、オーケストラの指揮者に当たります。

 

 また、古い着物の補正や修正、染め替えの時は、それぞれにふさわしい加工を見極め、各職人さんに指示しなければならない大変な仕事です。

 

 このシミは、どうすれば取れるのか、取れなければ、どういう加工をすれば良いのか?元の色に何色を掛ければ、希望の色になるのか?…など、様々な問題に対処しなければならず、「悉皆(しっかい)」は「やっかい」と敬遠される仕事でもあります。

 

 しかし、古い着物でも、加工の良いモノは悉皆によって見違えるほど素敵に再生されます。否、加工する前より良くなり、感動するお客様もたくさんいます。

 

 例えば、母親の淡いブルーの振袖を藍色系に染め替えされたとき、その深い色に、本人もお母様もお祖母様も三代で感激しておられました。

https://www.youtube.com/watch?v=fcUuVtdFUxY

 

想い出があっても着られない着物を悉皆業の方にお任せして、再びスポットを当ててあげませんか?

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