織絵屋のブログ

おきもののことお気軽にご相談ください。初めての方でも、わかりやすくご案内させて頂きます。

4月に、京都の西陣帯『帯のあらた』を訪ねました。

 

『帯のあらた』は、今、話題の西陣帯メーカーです。

 

 昭和60年(1985年)創業の新しい小機屋です。創業者の今村俊氏は伝統的な分業制である意匠屋(図案を作る専門業)に頼らず、自ら図案を考案し、少数精鋭の熟練職人と共に帯を制作し始めました。

 

 さらに、平成14年以降、大学で建築デザインを学び、大手ゼネコンで働いていた変わり種の二代目・今村忠昭氏が、伝統的なデザインだけでなく、現代的な感覚を取り入れたスタィリッシュなデザインでセンスの高い帯を創り続けています。

 

 デザインだけでなく、高品質な絹糸と独自の染色技術を用いて、質感や色あいにもこだわっています。

 

また、締めやすさにもこだわっています。帯の裏の省ける浮き糸は、ほぼ省き、軽さと薄さを追求し、締めたときのガサガサとした感覚をなくし、体に沿ったより良い締め心地を追求しています。

 

 初めて「あらたの帯」を観た人は、その新鮮さに驚きます。すでに帯を数十本も持っている方でも、「こんな帯、見たことない!」と、購入する方が絶えません。

 

 忠昭氏は、西陣帯の火を消さないように、他の帯メーカーの休業状態の織機をレンタルし、新たな挑戦をしています。12日~14日、当店に来てくれます。

 これからの季節は、浴衣や夏の街着を着物で楽しめる蛍狩りや花火大会、夏祭りなどのイベントがあちこちで開催されます。

 

 昔に比べ、暑さが厳しくなり、夜でも冷房が必要になった岩手なので、少しでも快適になる素材の浴衣や街着を選びたくなりますね。

 

 一般的な綿100%のモノは、木綿は保温力があるので、さすがに暑いです。熱中症に気を付けて下さい。

 綿100%でも、綿絽(絽目になっている生地)や紅梅織(細い糸と太い糸を使って肌への接着が少ない生地)、また絞りはおすすめです。

 

 近年は、綿と麻の混紡の生地のモノが増えてきました。麻はほとんど保温力がないので、綿100%のモノよりずっと快適です。

 

 麻100%の小千谷縮や近江縮は、高温多湿な日本の夏には最も快適な素材です。

 

  また、縮みは肌と生地の間を空気が取り抜けるため、天然のクーラーと言えるほどです。

 とはいえ、夏は少し動くだけで汗が出て汚れます。汗汚れはたんぱく質を含んでいるのでドライ洗いでは取れません。自宅で水を使って洗うとすっきりキレイになります。アイロンはかけずに、しっかり畳んで座布団なので重しをかけてシワを伸ばして下さい。

当店では、毎月日帰りきものツアーを開催しておりますが、来月は初めて着物でランチ会を開催いたします。

とき:6月16日㈪ 12:00~14:00

会場:旬の拵え『こくう』

ドレスコード:着物または浴衣

定員:10名 参加費:3,000円

応募締め切り6月10日㈫までといたします!

 

着物は着たいけど、着ていく場所がないとお困りの方、ぜひご参加ください!

当店をはじめてご利用の方は、お問合せよりメールまたは公式LINEより

『ブログを見ました!着物ランチ会参加したいです!』

と、お伝えください。

定員に達し次第、受付終了とさせていただきます。

織絵屋の松山です。きものは高価ですが、お手入れをして、大切にすれば三世代に渡って着られます。今回は、様々なお手入れやお直しについて述べます。

 

丸洗いは、着物をそのままでドライクリーニングします。また、袖口や衿、裾などの部分洗いも可能です。

 

洗張りは、仕立て直す時に、着物をすべて解いてから、水で洗い流し、元の反物状に戻します。

 

シミ抜きは、丸洗いでは取れないシミ汚れを様々な技術でキレイにします。

 

それが難しいシミ汚れは、顔料や箔、また刺繍などで彩色加工を施し、見えなくします。

 

スレ直しは、着用時に摩擦で白っぽくなったスレの毛羽立ちを抑えて目立たなくします。

 

解けた刺繍や箔も元通りにキレイに直すことが出来ます。

 

仕立て直しでは、袖丈や裄、また身幅や身丈の寸法を直します。裏地の交換も出来ます。

 

家紋は、元紋を消し、新しい紋に入替え出来ます。

 

派手になった着物は、全体に色を掛けて地味することが出来ます。柄部分だけを彩色加工で地味にしたり、華やかにすることも出来ます。

 

また、着物を洋服や帯、羽織などにリメイクする方法もありますので、気軽に相談してみましょう。

織絵屋の松山です。今回は見ているだけでも癒される草木染のきものについて述べます。

 

染色の起源は、草や木の繊維で織られた布を水や灰で漂白した時、たまたま鉄分を多く含んだ泥があったために発色し、それが泥染の始まりだと言われています。

 

様々な染色技術は、中国や朝鮮からの帰化人によってもたらされましたが、豊かな自然と四季のある日本では独自の数多くの色が作り出されました。

 

その結果、江戸時代には、色数80色以上も使って染められた友禅染もすべて草木染料だけで染めることが出来たのです。

 

ところが、20世紀に入ると、多くの化学染料がヨーロッパから輸入され、天然の染料・草木染料はあっという間に駆逐されてしまいました。

 

しかし、文芸者・山崎斌(やまざきあきら)は故郷の貧しい農村を少しでも豊かにしたいと、農家の副業として草木染による手織紬を復興させたのです。

 

『草木染』の名は、山崎斌(やまざきあきら)が、昭和5年、初めての手織紬復興展覧会を催した際、天然染料による染色を化学染料の染色と区別するために命名しました。

 

草木染は、全く同じ色を再現できない、濃色を染めるのに何度も重ね染めする手間がかかる、また、時間ともに色が変化する…などの欠点があるために量産することができません。

 

半面、土と草木の生命を写し取ったかのような味わい深い色に染め上がります。

 

そして、草木染のきものは着る人を優し気で美しく映えさせてくれるのです。

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