織絵屋のブログ

おきもののことお気軽にご相談ください。初めての方でも、わかりやすくご案内させて頂きます。

織絵屋の松山です!今回は「お召し」について述べます。

 

「お召し」は、正式には「お召しちりめん」です。生産量が少なく、希少な着物でしたが、近年、その魅力に気づく方が多くなりました。

 

一般的な「ちりめん」は後染め物用の生地ですが、「お召ちりめん」は糸を染めてから織る「先染め」の着物です。

 

お召しの歴史は古く、平安時代から京都で織られていました。

 

江戸時代、京都で大火があり、お召しを織っていた多くの職人が幕府の天領地だった群馬の桐生に移り住みました。

 

やがて、桐生は関東におけるお召しの一大産地になりました。

 

徳川11代将軍・家斉公が好んでお召しになったことから「御召」の名が付いたと言われています。

 

その織り方は、通常の生糸の10倍から20倍もの撚りをかけた強撚糸を3,000本以上もの経糸に使い、右撚りと左撚りの強撚糸を緯糸に使って交互に織り込みます。

 

織り上がった生地を洗うと、糊が取れて独特のシボができ、シャリ感のある、着やすい着物になります。

 

「お召し」は、軽くて、シワになりにくく、とても丈夫です。袷、または単衣に仕立てられ、セミフォーマルとしても、カジュアルとしても着られます。

 

男性、女性、どちらにもおすすめの着物です。

織絵屋の松山です!今回は帯について述べます。

 

古くより、「帯は格上」、「裸にも帯」、「きもの一枚に帯三本」など、帯にまつわる多くの言葉があります。

 

これらは、「着物姿においては、何よりも帯が大切ですよ。」という教えでありますが、なぜ、そんな言葉が生まれたのでしょうか?

 

古来、日本人は長いものには霊的パワーが宿っており、龍神の化身であると考えていたようです。

 

江戸初期まで、紐状だった細い帯は、庶民が豊かになった江戸中期には、より霊力が強いであろう幅広の帯に変化していきました。

 

現代でも、結納金は『御帯料』と書かれています。これは、「新しい家族を守ってくれる霊力のある帯を揃えて嫁いで来て下さい。」という意味があるのです。

 

帯は大切な夫や子供たちを病気やケガから守ってくれる御守りの意味があったのです。ですから、夫や子供たちが大ケガをしたり、大病を患うと、帯の霊力が衰えたと考え、夫人は帯を新しいものに買い替えていたのです。

 

また、帯には吉祥文様や有識文様が織り込まれています。これも帯の霊的パワーを高めるためだと思われます。

 

そのような帯のいわれや帯に織り込まれた文様の意味などを知れば、もっと着物を着る楽しみが増えるのではないですか?

 織絵屋の松山です。今回は「七夕」を「たなばた」と読む理由と「きもの」の語源について述べます。

 

 七夕は、本来、「しちせき」と読むのが正しく、奈良時代に中国から伝わった五節句の一つで笹の節句とも言われます。

 

 中国から五節句が伝わり、7月7日は「七夕(しちせき)」の節句にあたりましたが、日本ではそれ以前から7月7日は「たなばたつめ」の行事がありました。

 

 もちろん、7月7日というのは旧暦ですので、大暑の頃になります。台風や日照りが発生しやすい頃なので、古代では、それまで順調に育った稲などの作物が台無しになることも度々でした。

 

 そこで、雲を動かし、風を吹かせ、雨を降らせる龍神に「どうか、雨風の被害がなく、豊作でありますように!村人が幸せになりますように!」と、祈る行事が「たなばたつめ(棚機ッ女)」の行事でした。

 

 村から選ばれた乙女が水辺のほとりの小屋で、龍神の衣装になる白絹を織り、棚に捧げたのです。

棚に捧げた白絹が「巻物(まきもの)」状だったことが「きもの」の語源となったと言われます。

 

 日本古来の「たなばたッ女」の行事と「中国の七夕(しちせき)」が混同され、七夕は「たなばた」と読まれるようになったと言われています。

織絵屋の松山です!今回はロウケツ染めについて述べます。

 

ロウケツ染めの歴史は古く、飛鳥時代には、纐纈(こうけち・絞り染め)、狭纈(きょうけち・板締め染め)、蝋纈(ろうけち・ロウケツ染め)は天平に三纈(さんけち)と呼ばれていました。

 

ところで、布を水性の染料で直接染めると色がにじんでしまい、模様をはっきり描くことは出来ません。

 

これを防ぐのが防染技術です。まだ、友禅染は生まれていない古代の防染技術が上記の三纈です。

 

染めたくない部分を絞りや板締め、ロウで防染することによって模様染めが可能になるのです。

 

古代のロウケツ染め・蝋纈(ろうけち)は、蜜蝋を使っていたようですが、高価な染色法だったために平安時代には途絶えてしまいました。

 

室町時代から江戸時代にかけ、ロウ防染の技法で染められたジャワ更紗(バティック染)が輸入され、日本人を魅了しました。

 

明治時代の末期、鶴巻博士によってこのバティック染技法が取り入れられ、日本でのロウケツ染が新しく始まりました。

 

その後、昭和30年頃から、ロウケツ染は多くの工芸作家によってキモノにも染められるようになり、友禅染に並ぶ染め物に成長してきたのです。

 

ロウケツ染の魅力は、何と言っても重ね染めによる色の深さです。

織絵屋の松山です。浴衣に代表される着物素材は木綿です。今回は、木綿の歴史、特徴について述べます。

 

 

日本に初めて木綿の種がもたらされたのは、8世紀末と言われています。しかし、この種は高温種の木綿だったので、日本では育ちませんでした。

 

また、輸入された木綿は高級品でしたので、一般庶民までは普及していませんでした。

 

やがて、16世紀中ごろ、中国の綿種が伝わり、日本でも広く綿花が栽培されるようになりました。

 

 

麻素材より、柔らかく、保温性が高く、染色もしやすいことから庶民の貴重な衣服として急速に普及していきました。

 

17世紀中ごろまでには、国産の綿織物が庶民の普段着になるほどまでに普及知したそうです。

 

しかし、明治29年、綿花輸入関税が撤廃されると、日本国内の綿花栽培は急速に衰退していきました。

 

現在の主な木綿織物は、久留米絣、弓浜絣、伊勢木綿、会津木綿、片貝木綿などがあります。

 

木綿織物は麻素材の小千谷縮などと同じ様に自宅で洗えますので、普段着着物としておすすめです。

 

私は、4月から6月、9月から11月の期間は、もっぱら木綿織物で過ごしています!

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