織絵屋のブログ

March 2024のブログ記事

Category: きもの歳時記
Posted by: Orieya

織絵屋の松山です。近年、入学式や卒業式に着物を着て出席される母親が増えているようです。

 

着物を愛する私としては、とてもうれしいことです。今回は、入卒の母親の着物について述べます!

 

 

着物の大きな魅力の一つに、子どもの情操教育になるという点があげられます!

 

現代の生活において、ほとんどの子供たちが見ることのない母親の着物姿は、強烈な印象を与えます!

 

子供たちに「今日のあなたの入学式(卒業式)は特別な日です。私はあなたが頑張ったことに敬意を表すために、お母さんはこの装いをしているのよ。おめでとう!」という無言のメッセージを伝えることができるのです。

 

私の妻も、娘二人の入学式、卒業式には必ず着物で出席し、子どもたちにも、子どもたちの同級生にも喜ばれていました。

 

ただ、入学・卒業式の主役は子どもたちですので、母親の着物は華やかな訪問着ではなく、色無地や附下、小紋が相応しいです。

 

入学式や卒業式に出席する母親の着物のことでお悩みの方は、気軽にご来店、またはお問い合わせ下さい。

Category: きもの歳時記
Posted by: Orieya

織絵屋の松山です!いつの時代でも人気の文様に小粋な『縞』があります。

 

今回は縞文様について述べます!

 

 

縞文様には、大名縞や子持ち縞、やたら縞、またよろけ縞や万筋、千筋など多くの種類があります。

 

「しま」の呼び名は、中国の間道やインドのベンガラ縞、唐桟(とうざん)などの舶来の布が南の島から渡来したことから「島渡り」と呼ばれたことに由来します。

 

江戸前期までは、『筋』と呼ばれた横縞や格子柄が人気でした。

 

しかし、帯の幅が広くなった江戸時代も半ばを過ぎる頃から、腰高の着装が好まれるようになりました。

 

その結果、細身で背が高く見えるように、着物の柄模様は縦に伸びた草花や縦縞が好まれるようになりました。

 

背が高くて細く見えたいという思いは、江戸の女性も現代女性も同じですね。

 

また、縦縞が好まれるようになったのは、『縞』は天に伸びる文様で、願いがかなえられる文様と言われていたからだそうです。

 

縞文様の着物に興味のある方は。気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

Category: きもの歳時記
Posted by: Orieya

織絵屋の松山です!13世紀半ば、満田弥右衛門と弁園和尚の渡宋(中国の南宋)によって生まれた博多織。

 

今回は、博多織について述べます!

 

西陣織などの織物は、そのほとんどが緯糸で文様を織り出していますが、博多織は経糸を浮かしながら文様を織り出します。

 

そのため締めると「キュッ、キュツ」という『絹鳴り』は博多帯の代名詞になっています。

 

博多帯は丈夫で締めやすく、ほどけにくい帯です。武士の角帯や相撲取りのまわしなどに使われていました。

 

また、生産量も少なく高級品だったので、江戸時代から京都の西陣や桐生などで博多帯の偽物が多く織られていたそうです。

 

伝統的工芸品に指定されている博多織には、①献上(けんじょう)、②平博多(ひらはかた)、③間道(かんどう)、④総浮け(そううけ)、⑤捩り織(もじりおり)、⑥重ね織(かさねおり)⑦絵緯博多(えぬきはかた)の7種類の織り方があります。

 

その中でも「献上」は、黒田長政が幕府に献上していたことから、その名が有名で、現在まで「博多帯と言えば献上」と認知されています。

 

 

博多献上の文様は、仏具の「花皿(はなざら)」と「独鈷(どっこ)」、そして、二種類の「縞」で構成されています。

 

花皿は招福を表し、独鈷は除災厄除けを表し、そして縞は幼き頃は両親に守られ、老いては子に守られるという、人間にとって最も大事な仏教の教えを意味しているそうです。

 

おしゃれ着には最高に締めやすく、コーディネートしやすい博多帯に興味のある方は、気軽のご来店、またはお問い合わせ下さい。

Category: きもの歳時記
Posted by: Orieya

織絵屋の松山です。沖縄の織物、染物にあこがれる女性は多いと思います。今回は沖縄の染織について述べます。

 

沖縄には久米島紬や琉球絣、また土地、土地の花織や宮古上布、芭蕉布など、その種類の多さに特徴があります!

 

なぜ、沖縄にはこれほど多くの織物が生まれたのでしょうか?

 

これは、琉球国時代の科挙制度により、各島々から優秀な若者が中国に留学させられ、様々な織物技術を持ち帰り、それが各地の織元として発展したことに由来します。

 

紬の原点と言われる久米島紬は、古く4世紀ころにインドの絣技術が伝わりました。

 

真綿糸に手括りで絣を作り、泥染や草木染めして、居座機(いざりばた)で手織りしたものが久米島紬です。

 

その技術は、沖縄本島から鹿児島、そして結城、新潟、山形へと伝わっていったのです。

 

また、染物としては紅型染めが有名ですが、これは、琉球国が海洋王国であったため、外国から様々な色の鉱石が輸入されていたことから生まれました。

 

鮮やかな色彩が魅力の紅型染めは、それらの鉱石を砕いたものを染料として使い、色あせない染め物の紅型が生まれたのです。

 

 

沖縄の織物、染物に興味のある方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

 

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