織絵屋のブログ

おきもののことお気軽にご相談ください。初めての方でも、わかりやすくご案内させて頂きます。

織絵屋の松山です。今回、私が若い頃、「なぜ、新潟県の十日町で織られているのに明石の地名がついているのだろう?」と不思議に思っていた明石縮について述べます。

「越後名物かずかずあれど、明石縮に雪の肌、着たらはなせぬ味の良さ・・・♪」で、始まる十日町小唄に唄われているように、明石縮の産地は新潟県十日町です。

江戸後期、京都の西陣織の技術で、播州(現在の兵庫県)明石地方に伝わる「明石縮」を織る研究をしていましたが、中々上手くいきませんでした。

そこで、雪国で湿度が高く、麻の強撚糸(強い撚りかけた糸)の技術を持っている新潟県十日町で麻と絹で織った「透綾織(すきやおり)」が誕生しました。

その後、十日町の職人を総動員して、透綾織を改良した絹織物の両シボ(波状のシワ)の明石縮が完成したのが明治27年のことでした。

当初、あまりの透け感で一般女性には敬遠されて売れず、主な顧客は芸者衆だったそうです。

やがて、昭和4年、十日町小唄にも唄われるようになり、一般女性にも広く流行していきました。

「蝉の翅(はね)」とも呼ばれるほど透け感があり、シボで肌にはりつかない明石縮は、高温多湿の日本の夏に最適の着物です。暑い夏、肌を露出した女性を嫉妬させる、凛としたかっこいい女性を演じるのも一興ですね。

明石縮の興味のある方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

織絵屋の松山です!今回は、琵琶湖の東岸にある滋賀県秦荘町で織られている秦荘紬について述べます!

 

 

他産地の紬に比べ、歴史は浅く、戦後生まれの紬です。

 

大きな違いは絣の作り方です。ほとんどの紬は括りの技術で絣が作られますが、秦荘紬は「櫛押し捺染(櫛型のヘラを使う染め方))で絣糸が作られています。

 

「櫛押し捺染」は五大上布に数えられる近江上布に受け継がれてきた技術で、染料を櫛状のヘラに付け、絣糸に染める技法です。

 

元々は、大正から昭和の初めころに、この地方の農家の母親が嫁ぐ娘に、せめて1枚か2枚でも「お蚕さん(絹の着物)」を持たせてあげたいと織った紬です。

 

近江上布の仕事の合間に、真綿から糸を紡ぎ、少しでも華やかになるようにと、櫛押しで糸を染め、織り上げ、そして、夜なべして着物に縫い上げ、娘に持たせたのです。

 

これが、秦荘紬の起源と言われています。

 

 

真綿の柔らかさと、優しい絣柄は、まさに母親の愛情を感じさせてくれます。

 

苦しく、せつない時に、母親が持たせてくれた紬に、多くの女性が元気づけられたことでしょう。

 

いつも、一人でがんばっているあなたも、秦荘紬の優しさに包まれて、一息つきませんか?

 

秦荘紬に興味を持たれた方は、気軽にご来店、またはお問い合わせ下さい。

織絵屋の松山です。近年、入学式や卒業式に着物を着て出席される母親が増えているようです。

 

着物を愛する私としては、とてもうれしいことです。今回は、入卒の母親の着物について述べます!

 

 

着物の大きな魅力の一つに、子どもの情操教育になるという点があげられます!

 

現代の生活において、ほとんどの子供たちが見ることのない母親の着物姿は、強烈な印象を与えます!

 

子供たちに「今日のあなたの入学式(卒業式)は特別な日です。私はあなたが頑張ったことに敬意を表すために、お母さんはこの装いをしているのよ。おめでとう!」という無言のメッセージを伝えることができるのです。

 

私の妻も、娘二人の入学式、卒業式には必ず着物で出席し、子どもたちにも、子どもたちの同級生にも喜ばれていました。

 

ただ、入学・卒業式の主役は子どもたちですので、母親の着物は華やかな訪問着ではなく、色無地や附下、小紋が相応しいです。

 

入学式や卒業式に出席する母親の着物のことでお悩みの方は、気軽にご来店、またはお問い合わせ下さい。

織絵屋の松山です!いつの時代でも人気の文様に小粋な『縞』があります。

 

今回は縞文様について述べます!

 

 

縞文様には、大名縞や子持ち縞、やたら縞、またよろけ縞や万筋、千筋など多くの種類があります。

 

「しま」の呼び名は、中国の間道やインドのベンガラ縞、唐桟(とうざん)などの舶来の布が南の島から渡来したことから「島渡り」と呼ばれたことに由来します。

 

江戸前期までは、『筋』と呼ばれた横縞や格子柄が人気でした。

 

しかし、帯の幅が広くなった江戸時代も半ばを過ぎる頃から、腰高の着装が好まれるようになりました。

 

その結果、細身で背が高く見えるように、着物の柄模様は縦に伸びた草花や縦縞が好まれるようになりました。

 

背が高くて細く見えたいという思いは、江戸の女性も現代女性も同じですね。

 

また、縦縞が好まれるようになったのは、『縞』は天に伸びる文様で、願いがかなえられる文様と言われていたからだそうです。

 

縞文様の着物に興味のある方は。気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

織絵屋の松山です!13世紀半ば、満田弥右衛門と弁園和尚の渡宋(中国の南宋)によって生まれた博多織。

 

今回は、博多織について述べます!

 

西陣織などの織物は、そのほとんどが緯糸で文様を織り出していますが、博多織は経糸を浮かしながら文様を織り出します。

 

そのため締めると「キュッ、キュツ」という『絹鳴り』は博多帯の代名詞になっています。

 

博多帯は丈夫で締めやすく、ほどけにくい帯です。武士の角帯や相撲取りのまわしなどに使われていました。

 

また、生産量も少なく高級品だったので、江戸時代から京都の西陣や桐生などで博多帯の偽物が多く織られていたそうです。

 

伝統的工芸品に指定されている博多織には、①献上(けんじょう)、②平博多(ひらはかた)、③間道(かんどう)、④総浮け(そううけ)、⑤捩り織(もじりおり)、⑥重ね織(かさねおり)⑦絵緯博多(えぬきはかた)の7種類の織り方があります。

 

その中でも「献上」は、黒田長政が幕府に献上していたことから、その名が有名で、現在まで「博多帯と言えば献上」と認知されています。

 

 

博多献上の文様は、仏具の「花皿(はなざら)」と「独鈷(どっこ)」、そして、二種類の「縞」で構成されています。

 

花皿は招福を表し、独鈷は除災厄除けを表し、そして縞は幼き頃は両親に守られ、老いては子に守られるという、人間にとって最も大事な仏教の教えを意味しているそうです。

 

おしゃれ着には最高に締めやすく、コーディネートしやすい博多帯に興味のある方は、気軽のご来店、またはお問い合わせ下さい。

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