織絵屋のブログ

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織絵屋の松山です。沖縄の織物、染物にあこがれる女性は多いと思います。今回は沖縄の染織について述べます。

 

沖縄には久米島紬や琉球絣、また土地、土地の花織や宮古上布、芭蕉布など、その種類の多さに特徴があります!

 

なぜ、沖縄にはこれほど多くの織物が生まれたのでしょうか?

 

これは、琉球国時代の科挙制度により、各島々から優秀な若者が中国に留学させられ、様々な織物技術を持ち帰り、それが各地の織元として発展したことに由来します。

 

紬の原点と言われる久米島紬は、古く4世紀ころにインドの絣技術が伝わりました。

 

真綿糸に手括りで絣を作り、泥染や草木染めして、居座機(いざりばた)で手織りしたものが久米島紬です。

 

その技術は、沖縄本島から鹿児島、そして結城、新潟、山形へと伝わっていったのです。

 

また、染物としては紅型染めが有名ですが、これは、琉球国が海洋王国であったため、外国から様々な色の鉱石が輸入されていたことから生まれました。

 

鮮やかな色彩が魅力の紅型染めは、それらの鉱石を砕いたものを染料として使い、色あせない染め物の紅型が生まれたのです。

 

 

沖縄の織物、染物に興味のある方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

 

織絵屋の松山です。今回は、古くは埴輪や古墳の壁面にも見られる、厄除けの文様として有名なミツウロコ(三つ鱗)文様について述べます。

 

 

 

ミツウロコ文様は、室町時代より使われるようになりました。主に、武士の陣羽織や能衣装に使われていました。

 

鱗(ウロコ)文様は、龍の鱗(ウロコ)を象徴する図柄だとされ、龍の霊力・パワーを借りるという意味がありました。

 

また、古代エジプトのピラミッドに代表される三角形にはとてつもないパワーがあると言われています。

 

女性の本厄・33歳のとき、ウロコ文様の長襦袢や帯を贈る風習があります。

 

文様研究家の故・東聖観氏によると、三十三は三角形が三重に重なることを意味し、三つ鱗(ミツウロコ)になります。

 

このミツウロコ文様を身に着けると体の免疫力が増し、厄除けとなるそうです。

 

ミツウロコ文様の長襦袢や帯をお探しの方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

織絵屋の松山です。現代では、付下げと訪問着の違いを仕立て上がった状態で判別するのは難しいと思います。

 

明治時代までの晴れ着としては、「小袖(全体に絵羽模様)」と「裾模様(上前と下前だけに絵羽模様)」の二種類でした。

 

大正時代、小袖を簡略化した、今でいう訪問着が作られるようになりました。これは胸部分から両袖、そして裾全体に絵羽模様を描いたものです。

 

これらは全て、白生地を仮絵羽(着物の形に粗く縫ったもの)にしてから模様を描いたものでした。

 

着物の枚数が必要な芸者衆は、訪問着をさらにコストカットして、華やかだけれど安価な着物を求めました。

 

そして、昭和の初期に生まれたのが、今でいう「付下げ」です。

 

付下げは、白生地を仮絵羽にせずに、反物のまま、左の肩と前身頃、そして、左の内袖、右の外袖だけに模様を描いた着物です。

 

 

仕立がった付下げを前から見ると、訪問着にそん色のない着物になります。

 

これは、染の質を落とさずに上質のステキな着物を作るという素晴らしい発想でした。

 

ちなみに、なぜ、袖部分が左の内袖と右の外袖だけかというと、三味線を弾くときに、お客様から模様が華やかに見えるようにしたからです。

 

着物に関する疑問や悩みがありましたら、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

織絵屋の松山です。私が大好きな文様の一つに七宝文様があります!

 

 

 

七宝とは、仏教用語(無量寿経)で、「金、銀、水晶、瑠璃(るり)、瑪瑙(めのう)、珊瑚(さんご)、しゃこ(貝)」の七つの宝を指します。

 

七宝文様は、同じ大きさの円を4分の1ずつ重ねた文様を言います。また、この文様を上下左右に規則正しく連続させた文様を「七宝つなぎ」と言います。

 

この文様の意味は、円・輪は縁・和につながり、人と人との縁・和の大切さを表しています。

 

自分には父と母があり、その父と母にもそれぞれ父と母があり、また、その父と母にも・・・という様な命のつながりがあって、今の自分があるという意味が込められています。

 

また、「七宝つなぎ」文様は、四方どちら方向にも伸びて、子孫繁栄を意味しています。

 

江戸時代に四方が訛って「しっぽう」と呼ばれるようになったと言われています。

 

私が思うに、「人と人のつながり、縁・和は、七つの宝と同じ様に大切にすべきことですよ。」ということを教えてくれる文様だと思います。

 

七宝文様の着物や帯をお探しの方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

織絵屋の松山です。今回は、江戸時代に藍染めと並んで二大染めと言われた『紅染め』について述べます。

 

昭和の初期まで、着物の裏地・胴裏には紅絹(もみ)と呼ばれた真っ赤な裏地が定番でした。これが「紅染め」です。

 

紅染めの染料は紅花から作られますが、紅花の原産はエチオピアと言われています。

 

 

 

紅花はエチオピアからエジプト、シルクロードを経て、飛鳥時代に中国から日本へと伝わりました。

 

古代エジプトでは、赤は永遠の生命と復活を願う色とされ、ミイラには紅花帯が巻かれ、紅の化粧が施されていたそうです。

 

また,日本の藤ノ木古墳(6世紀後半)の石棺からも紅花の花粉が発見されています。

 

紅花から採れる染料は黄色と赤です。黄色十に対して赤は一しか採れません。そのため、真紅は、一般の人は使うことを許されない禁色になっていました。

 

江戸時代、度々、奢侈禁止令が出されると庶民は表から見えない裏地や長襦袢に紅染めのモノを使うようになりました。

 

また、紅は血行を良くし、また、魔除けの効果もあるとされ、昭和の初期まで、普通に紅絹(もみ)が使われていました。

 

希少な鮮やかな濃い赤「紅絹(もみ)」の長襦袢が店に1反だけ残っています。興味のある方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

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