織絵屋のブログ

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織絵屋の松山です。古来、日本三大紬と言われたのは、大島紬、結城紬、そして牛首紬(うしくびつむぎ)でした。

 

 石川県牛首紬振興組合ホームページより転載

しかし、牛首紬は、昭和30年に生産者が一軒だけになってしまい、昭和49年には産地自体がダムの底に沈んでしまいました。それ故に、「幻の紬」と呼ばれています。

 

着道楽の京都でさえ、「せめて牛首の羽織が欲しい!」といわれるほど生産量が少なかったのです。

 

牛首紬の由来は、産地の石川県白峰村が、明治の初めまで牛首村だったからだそうです。

 

1159年に、源氏のお落人が村に住み着き、その妻が織物の技術を村人に伝えたと言い伝えられています。

 

牛首紬の特徴は、緯糸に玉繭(2匹の蚕で一つの繭を形成したモノ)を使うところにあります。

 

冬には積雪が3~5mにもなる豪雪地帯の村では、繭は大変貴重なもので、上質な繭は出荷し、残った玉繭を織物に使ったのが始まりと言われています。

 

玉繭は絡みやすいので、熱湯の中から直接素手で糸を引いていきます。

 

そして、「糸ハタキ」という糸に空気を含ませる独特の作業にも特徴があります。その他にも14の工程がすべて手作業によって行われています。

 

そうして織り上がった牛首紬は、綸子のようなしなやかさとシワになりにくい、丈夫な織物で、別名「釘抜き紬」とも呼ばれています。

 

大島紬の絣の繊細さと衣擦れの音、結城紬の包まれるような優しさとぬくもり、牛首紬のしなやかさを着比べてみてはいかがでしょう。

 

牛首紬が気になる方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

織絵屋の松山です。日本三大紬の大島紬が西の横綱だとすれば、東の横綱は茨城県で織られている結城紬です。

 

 

茨城県結城地方は、古くより織物が盛んでした。奈良時代に「あしぎぬ」と呼ばれた絹織物が朝廷に献上され、今でも日本最古の織物として正倉院に保存されています。

 

その「あしぎぬ」が「常陸紬」、そして「結城紬」となったのです。

 

結城紬は、江戸時代まで無地や縞が織られていましたが、明治時代に絣技術が導入され、様々な絣模様が織られるようになりました。

 

また、大正から昭和の30年代までは、主に「縮み」が織られていました。

 

『春大島、秋結城」という言葉がありますが、これは弱撚糸(軽く撚りをかけた糸)の生糸で織った大島紬は、薄くて光沢があり、春に着るのに適し、一方、真綿で織った結城紬は地厚で暖かいので秋に着るのに適しているという意味です。

 

結城紬の特長は、真綿糸で織っているので、腰紐も必要ないくらい体に張り付き、軽くてシワにならず、しかも丈夫だということです。

 

また、その優しい肌触りです。

 

1998年に信州大学と宇都宮大学の共同研究で、「真綿の総合特性の評価」という論文が発表されました。

 

その中に、「人が安らぎを感じているときに発生する脳波・アルファ波は、赤ちゃんに触った時に多く発生するが、真綿に触った時には、それ以上に多く発生する。真綿はストレス社会に生きる現代人の救世主に成り得る。」と述べられています。

 

真綿で織られた結城紬は、ストレスを多く感じる人におすすめの着物です。

 

結城紬が気になる方は、是非、お問い合わせ、または一度ご来店下さい。

日本三大紬の中で。今でも最も人気が高く、女性のあこがれと言われる本場大島紬。

 

 

 

大島紬の発祥の地は奄美大島です。歴史は古く、7世紀ころに始まったようです。

 

現在、本場大島紬は三つの産地で織られています。奄美大島地方で織られているものは地球儀印、鹿児島市で織られているものには国旗印、そして、宮崎県都城市で織られているものには鶴印の証紙がそれぞれ貼られています。

 

大島紬の第一の魅力は、世界一と言われる絣の細かさです。

様々な紬の絣は、絣部分を糸で括ったり、板で締めて作りますが、大島紬は締め機という独特の機で、絣を作るためだけに織り上げてムシロ状にしたものを染めて絣を作るのです。

 

第二には、テーチ木(車輪梅)と泥染にによる温かみのある深い色合いがあります。

 

テーチ木のチップを煮出して釜で、染めては乾かす作業を20回繰り返し、その後、奄美大島の鉄分を含んだ独特の泥田で染めます。

 

この作業を4回繰り返しますので、84回も染めることになります。だから、軽くてシワにならず、艶やかな風合いになるのです。

 

経糸と緯糸の小さな絣が正確に合うように織らなければならない織り手の女性は、イライラしたり、哀しみの気持ちがあると、自分の心の様がそのまま反物上に現れるそうです。

 

ですから、織り手の女性は、常に気持ちを落ち着かせ、反物に語り掛けながら織っていくそうです。

 

織り上がった大島紬の反物を出荷するときは、一晩抱いて寝る織り手の女性もいると聞きました。ロマンあふれる大島紬。一枚は欲しい着物ですね。

現代では、付下げと訪問着の違いは、仕立上がった状態では判別しづらいと思います。

 

明治時代までの晴れ着としては「小袖(全体に絵羽模様)」と「裾模様(上前と下前にだけ絵羽模様)」の二種類でした。

 

 

大正時代に、小袖を簡略化した、今でいう訪問着が作られるようになりました。これは、胸部分から両袖、そして裾全体に絵羽模様を描いたものです。

 

これらは全て、白生地を仮絵羽(着物の形に粗く縫ったモノ)にしてから模様を描いた着物でした。

 

着物の数が必要な芸者衆は、訪問着をさらにコストカットして、華やかだけれど安価な着物を求めました。

 

それが、昭和の初期に作られた、今でいう付下げです。これは、白生地を仮絵羽にせずに、反物のまま、左の肩と前身頃、そして左の内袖、右の外袖だけに模様を描いた着物です。

 

仕立て上がった付下げを前から見ると、訪問着にそん色のない着物になります。

 

これは、染の質を落とさずに素敵な着物を作るという素晴らしい発想でした。

 

ちなみに、なぜ、袖部分の模様が左の内袖と右の外袖だけかというと、三味線を弾くときに、模様がお客様に華やかに見えるようにしたのです。

 ※本来の付下げは一方付け小紋のことです。

 

付下げ、訪問着が気になる方は、是非、お問い合わせ、または一度ご来店下さい。、

織絵屋の松山です。今回は、着物の中でもTPOを問わない色無地の染め方について述べます。まずは、下画像をご覧ください。

 

  

 

 左が「炊きぞめ」、右が「引き染め」です。

 

「炊き染め」は染料を釜で煮立て、そこに白生地を入れて煮染めします。昔は、職人が汗をかきながら一反、一反染めていましたが、近年はローラーで白生地を染料の入った釜に送って染めています。

 

「引き染め」は、白生地に伸子という竹ヒゴで20~40cm間隔でピンと張り、熟練の職人が刷毛で染めていきます。

 

反物での見分け方は、上画像の様に、生地の端まで染まったモノが「炊き染め」、生地の端が白く残っているのが「引き染め」です。

 

価格的には、「炊き染め」がリーズナブルですが、「引き染め」は色に深みがありながら、透明感があり、顔の映りがキレイに見えるのでおすすめです。

 

色無地が気になる方は、是非、お問い合わせ、または一度ご来店下さい。

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