織絵屋の松山です。長襦袢の名の由来は、ポルトガルのジバン(肌着、シャツの意味)から来たと言われています。

 

長襦袢の始まりは、腰までの長さの半襦袢でした。この半襦袢に裾除けを合せたものが、江戸中期までの一般的な下着のスタイルでした。

 

元禄の頃、遊郭で半襦袢と裾除けを縫い合わせたモノが流行し、これが一般庶民にも広がり、長襦袢を着る人が増えたのです。

 

江戸幕府が、度々、奢侈禁止令を出し、庶民の華美な服装を取り締まっていくと、庶民は見えないところに贅を尽くすようになりました。

 

その一つが長襦袢でした。生地に羽二重や綸子などの高級な絹物を使い、友禅や刺しゅう、絞りを施し、現代の人が見ると、とても下着とは思えないほどぜいたくな長襦袢も着られていました。

 

半衿は、当初、普段着には汚れが目立たない黒、礼装には白の無地を使っていましたが、贅をつくした長襦袢が着られるようになると、小紋柄や刺しゅう、絞りなどの色半衿が流行しました。

 

明治から昭和初期までは、多くの半衿の専門店がありました。

 

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