同じ東北に住みながら、最北の着物産地と呼ばれる山形県米沢市の米沢織の着物を、どれほどの方が知っているでしょうか?また、持っているでしょうか?

米沢で絹織物業が盛んになったルーツは米沢藩9代藩主「上杉鷹山」にあります。

今から260年ほど前、九州・宮崎(日向)の高鍋藩から上杉藩に婿入りした鷹山は、破綻寸前の財政を立て直すために一大改革を行いました。藩の収入を増やすために新しい産業を興す必要があったからです。

その一つが、絹織物業でした。まず、空いている土地には藩士の庭にまで桑の木を植え、養蚕に力を入れました。そして、隣国の新潟・小千谷から染織の職人を招き、藩士やその妻女に新しい染織技術を習得させたのです。

また、遠くの琉球(沖縄)からも絣職人を呼び寄せ、絣技術も習得させたのです。この絣の織物は、米琉絣(米沢の琉球絣)と呼ばれるようになりました。

やがて、これらの絹織物業は米沢藩の大きな経済基盤になるほどまでに発展していったのです。

他の産地との大きな違いは、藩士が絹織物業を担ったことで、同じ織物を織り続けるのではなく、それぞれが独自に新しい織物を考案し、革新を怠らず、常に進化し続けてきたことです。