織絵屋の松山です。今回は沖縄(琉球)の『花織』について述べます。

 

沖縄は、琉球王朝の時代に、科挙制度を取り入れて、村や島々の優秀な若者を中国へ留学させていました。

 

そして、それらの若者らが中国の織物技術を持ち帰り、それぞれの村や島の特徴ある織物へと発展させました。

 

それらの織物の中に、可憐な花模様のような柄を織り込んだ花織(沖縄ではハナウイと呼ぶ)があります。

 

花織は独特の浮き紋織(柄が浮き出る織り方)で、沖縄本島の『読谷山(ユンタンザ)花織』、『南風原(ハエバル)花織』、そして、与那国島の『与那国(ヨナクニ)花織』があります。

 

これらの花織は、琉球王朝の王や貴族以外は着用を許されない御用布でした。

 

花織の基本的な織文様には次のような意味があります。

 

招福や生活安泰を意味する『ジンバナ(銭花)』、長寿、健康を意味する『カジマヤー(風車)』、そして、末広、子孫繁栄を意味する『オージバナ(扇華)』。

 

  上からジンバナ(銭花)・カジマヤー(風車)

花織は、現在、着尺(着物用の生地)と帯が織られていますが、かつては、ティサージ(手巾)と呼ばれた手拭いが織られていました。

 

ティサージは肩や腰に下げ、装飾として使われていたモノで、二つの意味を込めて織られていました。

 

一つは、漁や旅に出る親兄弟の無事を願って織る『ウミナイティサージ(姉妹手巾・祈りの手巾)』、もう一つは、女性が愛する男性のために織る『ウムイヌティサージ(想いの手巾)』。

 

「思いを込めて文様を織る」なんて、現代人が忘れてしまったロマンかもしれないですね。