織絵屋のブログ
01/12: 『帯締め、帯揚げ」の歴史
織絵屋の松山です。帯締め、帯揚げの歴史は、江戸時代の後期から始まりました。
それ以前は、時代劇や浮世絵を見ても分かるように帯締め、帯揚げは使われていませんでした。
今から200年ほど前、江戸・亀戸天神の太鼓橋再建の渡り初め式で、深川芸者衆が揃って太鼓橋に似せた帯結びをしました。
この帯結びは「お太鼓結び」と呼ばれ、「芸は売っても女は売らない」という粋な羽織芸者が揃って締めたことで、「お太鼓結び」はあっという間に一般女性の間に広まったのです。
「お太鼓結び」は、帯を固定する紐が必要なことから、帯締めが生まれました。帯締めは、始めは布を筒状に縫い、中に綿を詰めた、いわゆる「丸ぐけ」でした。
やがて、昭和になると、高価ではあるが結び目が緩みにくい組紐の帯締めが主流になっていきました。
また、「お太鼓結び」にはどうしても帯枕が必要です。帯揚げは、この帯枕を包んで隠し、着物と帯の間のアクセント、装飾として使われました。
帯締めと帯揚げは着物姿の画龍点睛。どんなに高価で素敵な着物と帯で装っていても、帯締め、帯揚げが貧弱だったり、合っていないと全てが台無しになってしまいます。
同じ着物と帯でも、帯締め、帯揚げを替えるだけで季節感を出せます。春夏は寒色系や明るめの色で、秋冬は暖色系や濃いめの色を基本にすると間違いないでしょう。
帯締め、帯揚げのコーディネートでお悩みの方は、気軽にお問い合わせは、またはご来店下さい。
01/11: 『長襦袢・半衿』の歴史
織絵屋の松山です。長襦袢の名の由来は、ポルトガルのジバン(肌着、シャツの意味)から来たと言われています。
長襦袢の始まりは、腰までの長さの半襦袢でした。この半襦袢に裾除けを合せたものが、江戸中期までの一般的な下着のスタイルでした。
元禄の頃、遊郭で半襦袢と裾除けを縫い合わせたモノが流行し、これが一般庶民にも広がり、長襦袢を着る人が増えたのです。
江戸幕府が、度々、奢侈禁止令を出し、庶民の華美な服装を取り締まっていくと、庶民は見えないところに贅を尽くすようになりました。
その一つが長襦袢でした。生地に羽二重や綸子などの高級な絹物を使い、友禅や刺しゅう、絞りを施し、現代の人が見ると、とても下着とは思えないほどぜいたくな長襦袢も着られていました。
半衿は、当初、普段着には汚れが目立たない黒、礼装には白の無地を使っていましたが、贅をつくした長襦袢が着られるようになると、小紋柄や刺しゅう、絞りなどの色半衿が流行しました。
明治から昭和初期までは、多くの半衿の専門店がありました。
半衿の選び方、付け替えでお悩みの方は気軽にお問い合わせは、またはご来店下さい。
01/11: 着方教室募集中
当店では自分で着物を着て楽しむ方を増やしたいと思っております。
着物を着たくても着物が着られないとタンスに眠ったままになりますよね…
虫干し代わりにどんどん着ていきましょう!
きもの着方教室は初心者の方も大歓迎!
詳しくは、きもの講座をご覧ください。
スタッフ 宮野
01/10: 『羽織』のいわれ
織絵屋の松山です。近年、長めの羽織がブームになっています。
羽織は、本来、江戸時代の武士の正装である裃(かみしも)が変形したものです。つまり、羽織袴の羽織です。
羽織は地位を表すもので、農民では庄屋さん、商人では番頭さんにならないと着用できませんでした。
現代でも、大相撲の世界では関取(十両以上の力士)でないと、羽織は着用できません。
また、江戸時代は、女性は羽織着用禁止令が出され、着用できませんでした。
しかし、それでも羽織を着用した一部の女性がいました。
未亡人になった女性で、「私はもう再婚はしません!」という意思表示のために羽織を着用していました。
また、芸者衆の中で「羽織芸者」と呼ばれる女性は、「私は女を売るんじゃない、芸を売るんだ!」という心意気を羽織で示していたのです。
そういうことを考えると、女性の羽織姿は「かっこいい女性」の最高のおしゃれと言えます。
羽織に興味のある方は、気軽のお問い合わせ、またはご来店下さい。、
01/09: 『帯』のいわれ
織絵屋の松山です。日本文化は結びの文化と言われます。その最たるものが帯です。そして、どんな着物でも帯を締めなければ完成しません。
さて、結婚の結納の目録を見てみると、結納金は「御帯料」と書かれています(地方によっては御小袖料)。
これには、どういう意味があるのでしょう。
一つには、帯は家と家、人と人を結び合わせ、幸せを呼び寄せるという意味があります。
二つには、「振袖のいわれ」でも述べましたが、古来、日本人は長いものに霊力が宿ると信じていました。
それゆえに、「この帯料で新しい帯を買い揃えてから嫁いで来て下さい。その帯が、あなたの新しい家族となる夫、やがて生まれてくる子供を病気やケガから守ってくれずはずです。」という思いが込められているのです。
ですから、昔は、夫や子供が大病したり、大ケガした時には、その帯の霊力が弱くなったと考え、新しい帯に買い替えたのです。
現代でも、女性の大厄33歳のときには、母親が新しい帯を贈って厄除けとする風習が残っています。
これらのことから、「着物1枚に帯3本」「裸にも帯」などの言葉が生まれたのです。
帯のコーディネートでお悩みの方は気軽にお問い合わせは、またはご来店下さい。