織絵屋のブログ
01/10: 紬(つむぎ)と絣(かすり)
織絵屋の松山です。平成6年に生まれた女の子の名前No,1は「紬」ちゃんだったそうです。今回は紬と絣について述べます。
江戸初期まで、日本は中国から莫大な量の生糸を輸入していました。1685年、その代金としての金銀の流出を危惧した幕府が生糸の輸入を制限したことで、絹織物産地ではたちまち原料不足に陥りました。
そのために各藩は養蚕を奨励し、養蚕の産地が全国的に広がっていったのです。
養蚕が盛んになった地域では、生糸に使えないくず繭を真綿にして、糸を紡ぎ、自家用に織りました。
これが紬と呼ばれるようになりました。糸が太くて節があるので粗い織物ですが、温かくてシワになりにくいのが特徴です。
紬の着物を少しでも華やかにと、織り糸を染める前に、他の糸で括り、染まらない部分を作り、その糸で織ると文様が出来る技術を取り入れました。
この文様が「絣」と呼ばれました。色が染まった部分と染まらない部分の境目がかすれて見えることから、その名が付いたそうです。
農民は絹物の着用を禁じられていましたが、紬は例外とされ、母親は紬の着物を「お蚕さん」と呼び、農作業の合間に紬を織りあげ、娘の嫁入り道具として持たせてあげたそうです。
だから、紬には母親のような暖かなイメージがあるのですね。