織絵屋のブログ
10/30: 店主のよもやま話②
松山です。一気に寒くなってきましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?今月も共にがんばっていきましょう!
およそ50年ぶりに、木刀で素振り!
最近、どうも握力と背筋が弱くなった様に感じていました。握力と背筋を鍛えられる、気軽にできる運動はないかと探していて、ふと、中学高校時代の部活動・剣道を思い出しました。

53年前、高校を卒業する時に、後輩たちから贈られた木刀は大切にしまっていたので、この木刀を使って、毎朝、素振りをすることにしました(雨の日は休み)。
6月に始めた当初は、毎朝30回ずつ、1週間経つ度に10回ずつ増やしていきました。さすがに暑かった7月8月は増やせませんでしたが、今は100回ずつ素振りしています。200回を目指します。
10/14: 店主のよもやま話①
織絵屋の松山です。暑さも去り、過ごしやすい季節になりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか?今月も共にがんばっていきましょう!
我家の彼岸花が今年も咲きました!
昨年、店駐車場の奥にあった彼岸花の球根を我が家に移植しました。その彼岸花も彼岸に合わせたように花開き始めました。
全部で64本の彼岸花が咲きそうです。

家庭菜園 スイカを塩ビ管で栽培してみました!
ネットで「スイカの塩ビ管栽培」という記事を目にしました。何でもスイカの原産地はアフリカのカラハリ砂漠らしく、それと同じ様な環境の土で育てる栽培法らしい。塩ビ管に砂と培養土を半々に詰めて立て、小玉スイカの種を播いて育てたとありました。
ちょうど、昨年、土手の藪払い時に、捨てられた4mの塩ビ管を見つけたので、1mに切って試してみることに。
産直で小玉スイカの種が見つからず、しかたなく苗を植えてみました。

甘くてみずみずしいスイカでしたが、3個しか実を付けなかったので、来年は種から挑戦してみます。

10/06: 菱屋善兵衛 明治、大正の帯 復刻物語
織絵屋の松山です。今回は明治大正時代の帯を復元した京都西陣の老舗機屋「菱屋善兵衛」について述べます。
創業220年を超える西陣・菱屋善兵衛は、20年ほど前に、創業200年記念の帯を製作する企画が持ち上がりました。
何か参考になる資料はないかと古くからある蔵を整理中に、明治、大正時代に製造していた帯地や図案、小裂などが見つかりました。当時は、まだ無名だった上村松園や菊池契月、木島桜谷などそうそうたる画家たちが描いた図案もあった。
これらの帯地を復刻することに決まったのだが、復刻は簡単ではなかった。明治大正時代の帯は、糸の品質、糸の込み具合、ジャガードの細かさなど「これほどまでにすごいとは!」と職人たちは驚いたという。
しかし、彼らはあきらめなかった。その帯地の柔らかな風合い、手触り感、また軽さを現代に蘇らせるために研究に研究を重ねた…一番の問題は絹糸だった。現代の絹糸では復刻することは不可能だったのだ。
一時は不可能とあきらめそうになった復刻を可能にしたのが、あの世界的ブランド・エルメスが使用する「ブラタク糸」という絹糸だった。
その最高の絹糸を緯糸に使い、通常の倍の密度で織り上げました。職人たちが図案、素材、配色のすべてを吟味し、3年の歳月を要して完成。

10月18日から20日の「44歳の誕生祭」でお披露目します。
09/05: 新感覚の伊勢型小紋を生み出した男
織絵屋の松山です。伊勢型小紋(および江戸小紋)の染工程を簡単に説明します。
➊板に貼った白生地の上から、文様が彫られた伊勢型紙を使って糊を置いていきます(白生地にくっ付いた糊部分は染まりません)。❷その上から色糊(染料を混ぜた糊)で染めていきます。❸色が定着するように蒸します。➍最後に水で洗い流すと、最初に置いた糊部分が白い文様として浮かび上がってくるのです。
京都に「染処 古今」という伊勢型小紋の染工房の現社長・安江氏は、中卒でこの染工房に入り、修行。あまりの大変さに、実家に逃げ帰ったこともあったそうですが、母親や伊勢型紙・錐彫りの人間国宝「六谷梅軒」の励ましで一人前の染職人になれたそうです。

安江氏は、何百年と続く伝統的な伊勢型小紋に新しい工夫を取り入れたいと考えていて、前社長に他の染工房での修行を申し出たそうです。
安江氏が新たに修行した染は草木染でした。草木染の修行を終え、「染処 古今」に戻った安江氏は、伝統的な技法で染めた伊勢型小紋に草木染料を重ね染めするという新感覚の伊勢型小紋を完成させたのです。
とてつもない技術が必要な伊勢型紙の彫り職人と染め職人によって完成した小紋に、さらに、草木染を施すことで、着る人の顔が一層映えるのです。9月4日~6日まで、安江氏が織絵屋で文化講演してくれます。
07/31: 江戸小紋と伊勢型小紋の関係
織絵屋の松山です。今回は江戸小紋と伊勢型小紋の関係について述べます。
戸小紋の名称は、比較的新しくて、昭和30年に人間国宝に認定された小宮康助氏が他の小紋と区別するために命名し、その後、広く使われるようになりました。
そもそも、小紋とは小さな紋様を彫った型紙を使って、連続的に染めた単色の着物のことです。
その型紙は古くより伊勢の白子地方で作られ、伊勢型紙と呼ばれています。
伊勢型紙は、諸説ありますが、ある和尚が1200年ほど昔、伊勢の不断桜の落ち葉に空いた虫食いの穴を見て、「型紙」を思い付いたという伝説があります。

伊勢型紙は江戸時代に入ると、武士の裃を染める型紙として大きく発展し、型売り業者が各地にまで型紙を売り歩き、全国に広まりました。
やがて、江戸中期以降になると、庶民の間でも流行し、幕府の奢侈禁止令の御触れと共に、遠目には無地に見える江戸小紋が男女とも広く着られるようになりました。
伊勢型紙で染められた単色の小紋が伊勢型小紋ですので、江戸時代の裃から発展した単色の江戸小紋も伊勢型小紋の一部と言えます。
