織絵屋のブログ

おきもののことお気軽にご相談ください。初めての方でも、わかりやすくご案内させて頂きます。

織絵屋の松山です。最近、お客様から「私の草履はかかとが出ているのですが、サイズが小さいのでしょうか?」という質問を受けました。

 

今回は、草履について述べます。

 

 

草履は、元々、足の裏を保護するために作られましたが、足の前半分だけの草履でした。

 

これは、かかとを付けずに歩くためのモノで、とても早く歩けるのです。浮世絵でこの草履を履いて前かがみに歩いている姿を見ることが出来ます。

 

やがて、後まである現代と同じような草履が作られるようになりましたが、それでも芸者衆は好んでかかとが出る小さめの草履を履いていたようです。

 

これは、小さめの草履を履いていると、足腰が鍛えられてヒップアップされ、いわゆる「小股が切れ上がった」状態にするためだったようです。

 

また、足の後ろまである草履ですと、うっかり着物の裾を踏んでしまい、着くずれの原因になってしまいます。

 

かかとが5mm~1cmほど出るサイズの草履がベストです。

 

草履のことでお悩みがある方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

織絵屋の松山です。最近、テレビなどで女性が着物を左前で着ているのを時々、見かけます。

 

 

洋服を着る場合、男性は左側の衿が上にくる右前、女性は右側の衿が上にくる左前です。

 

しかし、着物の場合、男性も女性も左側が上にくる右前です。これは、なぜでしょうか?

 

いくつかの説があります。

 

一つには、719年に「衣服は右前に着ること」という勅令が出されたからという説です。古墳から発掘された埴輪を見ると、右前の埴輪もありますが、多くは左前の埴輪だったことから、古くは左前で着ている人も多かったと思われます。

 

二つには、日本人は右利きが多いからだという説です。右前は、着物の場合、懐に小物を入れやすいという利点があります。

 

三つには、日本人は古くより陰陽を大切にしていました。左は「陽足」と書き、火すなわち陽を意味します。右は「水極」と書き、月、水すなわち陰を意味します。ですから、陽を意味する左側が上になるのが自然なのです。

 

事業が失敗して財産が傾くことを「左前になる」と言いますが、これは、死者には衣装を左前に着せて、生前と区別するという風習があり、財産が傾くと死が近づくことから来た言葉だそうです。

 

くれぐれも間違いない様に、右側が手前(体側)ですよ。

 

着物のことで知りたいことやお悩みがありましたら、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

 

織絵屋の松山です。T・P・Oを考えずに着られるうれしい着物が色無地です。

 

着物を着ていく時、場所や場合によって様々なルールがあります。これは、相手に礼を尽くすという着物の特徴でもありますが、着物入門のネックにもなっています。

 

そんな着物の中で、色無地はほとんどTPOを考えずに着られるオールマイティな着物です。

 

色無地は全体を一色で染められた着物です。

 

 

結婚式や披露宴の席でもOK(母親は除く)です。結納やパーティーOKです。お宮参り、七五三参り、入卒OKです。食事会や観劇、ショッピングというときもOKです。また、法事の席でもOKです。

 

私は、着物の模様・文様は自分のためにあるのではなく、招待してくれた人や周りの人に見てもらう、またメッセージを伝えるためにあると思います。

 

色無地は模様・文様が描かれておらず、自分の個性を引き出してくれる自分のための着物と言えるのだはないでしょうか。

 

色無地を着る時のアドバイスを三つお伝えします。

 

第一は、帯についてです。色無地の場合、帯は何でも不思議に合いますが、フォーマルの席では格式のある袋帯を、カジュアルな場面では名古屋帯や半巾帯で楽しみましょう。

 

第二には、家紋です。背紋をひとつ入れておくと便利です。格式ばった染め紋より、地色の濃淡の色糸で縫い紋を入れるのをおすすめします。

 

第三には、八掛・裾廻しです。一般的には地色の同じ共色を合せますが、個性を表現する着物ですから、全く違う色の八掛・裾廻しに挑戦してもらいたいものです。

 

歩くときに、チラリチラリとのぞく、意外な色の八掛で、周りをハッとさせてみませんか。

 

色無地の着物に興味のある方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

織絵屋の松山です。古来、日本三大紬と言われたのは、大島紬、結城紬、そして牛首紬(うしくびつむぎ)でした。

 

 石川県牛首紬振興組合ホームページより転載

しかし、牛首紬は、昭和30年に生産者が一軒だけになってしまい、昭和49年には産地自体がダムの底に沈んでしまいました。それ故に、「幻の紬」と呼ばれています。

 

着道楽の京都でさえ、「せめて牛首の羽織が欲しい!」といわれるほど生産量が少なかったのです。

 

牛首紬の由来は、産地の石川県白峰村が、明治の初めまで牛首村だったからだそうです。

 

1159年に、源氏のお落人が村に住み着き、その妻が織物の技術を村人に伝えたと言い伝えられています。

 

牛首紬の特徴は、緯糸に玉繭(2匹の蚕で一つの繭を形成したモノ)を使うところにあります。

 

冬には積雪が3~5mにもなる豪雪地帯の村では、繭は大変貴重なもので、上質な繭は出荷し、残った玉繭を織物に使ったのが始まりと言われています。

 

玉繭は絡みやすいので、熱湯の中から直接素手で糸を引いていきます。

 

そして、「糸ハタキ」という糸に空気を含ませる独特の作業にも特徴があります。その他にも14の工程がすべて手作業によって行われています。

 

そうして織り上がった牛首紬は、綸子のようなしなやかさとシワになりにくい、丈夫な織物で、別名「釘抜き紬」とも呼ばれています。

 

大島紬の絣の繊細さと衣擦れの音、結城紬の包まれるような優しさとぬくもり、牛首紬のしなやかさを着比べてみてはいかがでしょう。

 

牛首紬が気になる方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。

織絵屋の松山です。日本三大紬の大島紬が西の横綱だとすれば、東の横綱は茨城県で織られている結城紬です。

 

 

茨城県結城地方は、古くより織物が盛んでした。奈良時代に「あしぎぬ」と呼ばれた絹織物が朝廷に献上され、今でも日本最古の織物として正倉院に保存されています。

 

その「あしぎぬ」が「常陸紬」、そして「結城紬」となったのです。

 

結城紬は、江戸時代まで無地や縞が織られていましたが、明治時代に絣技術が導入され、様々な絣模様が織られるようになりました。

 

また、大正から昭和の30年代までは、主に「縮み」が織られていました。

 

『春大島、秋結城」という言葉がありますが、これは弱撚糸(軽く撚りをかけた糸)の生糸で織った大島紬は、薄くて光沢があり、春に着るのに適し、一方、真綿で織った結城紬は地厚で暖かいので秋に着るのに適しているという意味です。

 

結城紬の特長は、真綿糸で織っているので、腰紐も必要ないくらい体に張り付き、軽くてシワにならず、しかも丈夫だということです。

 

また、その優しい肌触りです。

 

1998年に信州大学と宇都宮大学の共同研究で、「真綿の総合特性の評価」という論文が発表されました。

 

その中に、「人が安らぎを感じているときに発生する脳波・アルファ波は、赤ちゃんに触った時に多く発生するが、真綿に触った時には、それ以上に多く発生する。真綿はストレス社会に生きる現代人の救世主に成り得る。」と述べられています。

 

真綿で織られた結城紬は、ストレスを多く感じる人におすすめの着物です。

 

結城紬が気になる方は、是非、お問い合わせ、または一度ご来店下さい。

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