織絵屋のブログ
February 2024のブログ記事
02/23: ミツウロコ(三つ鱗)文様にはこんな意味があります!
織絵屋の松山です。今回は、古くは埴輪や古墳の壁面にも見られる、厄除けの文様として有名なミツウロコ(三つ鱗)文様について述べます。
ミツウロコ文様は、室町時代より使われるようになりました。主に、武士の陣羽織や能衣装に使われていました。
鱗(ウロコ)文様は、龍の鱗(ウロコ)を象徴する図柄だとされ、龍の霊力・パワーを借りるという意味がありました。
また、古代エジプトのピラミッドに代表される三角形にはとてつもないパワーがあると言われています。
女性の本厄・33歳のとき、ウロコ文様の長襦袢や帯を贈る風習があります。
文様研究家の故・東聖観氏によると、三十三は三角形が三重に重なることを意味し、三つ鱗(ミツウロコ)になります。
このミツウロコ文様を身に着けると体の免疫力が増し、厄除けとなるそうです。
ミツウロコ文様の長襦袢や帯をお探しの方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。
02/21: 芸者衆の願いから生まれた『付下げ』
織絵屋の松山です。現代では、付下げと訪問着の違いを仕立て上がった状態で判別するのは難しいと思います。
明治時代までの晴れ着としては、「小袖(全体に絵羽模様)」と「裾模様(上前と下前だけに絵羽模様)」の二種類でした。
大正時代、小袖を簡略化した、今でいう訪問着が作られるようになりました。これは胸部分から両袖、そして裾全体に絵羽模様を描いたものです。
これらは全て、白生地を仮絵羽(着物の形に粗く縫ったもの)にしてから模様を描いたものでした。
着物の枚数が必要な芸者衆は、訪問着をさらにコストカットして、華やかだけれど安価な着物を求めました。
そして、昭和の初期に生まれたのが、今でいう「付下げ」です。
付下げは、白生地を仮絵羽にせずに、反物のまま、左の肩と前身頃、そして、左の内袖、右の外袖だけに模様を描いた着物です。
仕立がった付下げを前から見ると、訪問着にそん色のない着物になります。
これは、染の質を落とさずに上質のステキな着物を作るという素晴らしい発想でした。
ちなみに、なぜ、袖部分が左の内袖と右の外袖だけかというと、三味線を弾くときに、お客様から模様が華やかに見えるようにしたからです。
着物に関する疑問や悩みがありましたら、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。
02/20: 七宝文様にはこんな意味が込められています!
織絵屋の松山です。私が大好きな文様の一つに七宝文様があります!
七宝とは、仏教用語(無量寿経)で、「金、銀、水晶、瑠璃(るり)、瑪瑙(めのう)、珊瑚(さんご)、しゃこ(貝)」の七つの宝を指します。
七宝文様は、同じ大きさの円を4分の1ずつ重ねた文様を言います。また、この文様を上下左右に規則正しく連続させた文様を「七宝つなぎ」と言います。
この文様の意味は、円・輪は縁・和につながり、人と人との縁・和の大切さを表しています。
自分には父と母があり、その父と母にもそれぞれ父と母があり、また、その父と母にも・・・という様な命のつながりがあって、今の自分があるという意味が込められています。
また、「七宝つなぎ」文様は、四方どちら方向にも伸びて、子孫繁栄を意味しています。
江戸時代に四方が訛って「しっぽう」と呼ばれるようになったと言われています。
私が思うに、「人と人のつながり、縁・和は、七つの宝と同じ様に大切にすべきことですよ。」ということを教えてくれる文様だと思います。
七宝文様の着物や帯をお探しの方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。
02/12: 藍染めと並んで二大染めと言われた『紅染め』
織絵屋の松山です。今回は、江戸時代に藍染めと並んで二大染めと言われた『紅染め』について述べます。
昭和の初期まで、着物の裏地・胴裏には紅絹(もみ)と呼ばれた真っ赤な裏地が定番でした。これが「紅染め」です。
紅染めの染料は紅花から作られますが、紅花の原産はエチオピアと言われています。
紅花はエチオピアからエジプト、シルクロードを経て、飛鳥時代に中国から日本へと伝わりました。
古代エジプトでは、赤は永遠の生命と復活を願う色とされ、ミイラには紅花帯が巻かれ、紅の化粧が施されていたそうです。
また,日本の藤ノ木古墳(6世紀後半)の石棺からも紅花の花粉が発見されています。
紅花から採れる染料は黄色と赤です。黄色十に対して赤は一しか採れません。そのため、真紅は、一般の人は使うことを許されない禁色になっていました。
江戸時代、度々、奢侈禁止令が出されると庶民は表から見えない裏地や長襦袢に紅染めのモノを使うようになりました。
また、紅は血行を良くし、また、魔除けの効果もあるとされ、昭和の初期まで、普通に紅絹(もみ)が使われていました。
希少な鮮やかな濃い赤「紅絹(もみ)」の長襦袢が店に1反だけ残っています。興味のある方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。
02/09: 唐草文様の意味とは
織絵屋の松山です。唐草文様というと、泥棒の背負う風呂敷を連想する方も多いと思いますが、格の高い着物や帯などに良く使われる吉祥文様です。
今回は唐草文様について述べます。
唐草文様の起源は古く、古代エジプトまでさかのぼります。ギリシャ、インドを経て、日本には、奈良時代に中国の唐から伝わりました。
「唐草」という植物は存在しません。唐の国から伝わったつる草文様という意味です。
唐草文様は、つる草がからみ合ったような流線形に葉や花、実などをあしらい文様化したものです。様々な唐草文様があります。
唐草文様は、つる草がどこまでも伸び、文様が切れずに連続しています。そのことから、子孫繁栄、延命長寿を意味するとされています。
近年まで、婚礼調度品などには唐草文様の大きな風呂敷が掛けられていました。これは、「両家の末永い繁栄を願い、両家のつながりがいつまでも続きますように!」というメッセージが込められています。
唐草文様の着物や帯をお探しの方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。
織絵屋の松山です。今回は「四君子文様」について述べます。
本来、君子とは中国の宋の時代より徳行正しき人格者で、学識高く、清らかで高潔の人のことを言いました。
蘭・竹・菊・梅の4種が君子の特性を持つことから君子になぞらえ、四君子文様となりました。
これが日本に伝わり、4種がそれぞれに春夏秋冬の季節を代表することから、江戸時代には様々な物の絵柄として使われるようになり、やがて吉祥文様として扱われるようになりました。
『蘭』は、春にほのかな香りと気品ある花を咲かせます。また、清楚で控え目な姿が「善人蘭の如し」と称えられます。
『竹』は、夏でも凛とした青さを失わず、笹の葉がわずかな風でもサラサラと涼感を呼び寄せます。また、中空にして裏表のない高潔さを意味します。
『菊』は、秋に、寒さに逆らうかのように気高き花を咲かせます。また、菊の花は放射状になっており、太陽になぞらえられ百花の中で最上位とされています。
梅は、冬の厳しい寒さの中にありながらも、春に先がけ高貴な香りを漂わせながら花開きます。また、梅は子を産む母を意味し、目出度い文様とされてきました。
四君子文様の着物や帯をお探しの方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。
織絵屋の松山です。今回はめでたい文様の代表といえる「松竹梅」文様について述べます。
『松』、『竹』、『梅』のそれぞれの文様は平安時代からよく使われていたようですが、それらの三つを組み合わせた文様が使われ始めたのは室町時代だと言われています。
『松』は、砂地や岩だらけの土地でさえ、何年間も芽を出す日を待ち続け、やがて芽を出し、たくましく生長します。
また、松は四季を通じて一年中、葉の色が青い常盤木であることから、古来、吉祥文様とされてきました。
『竹』は、そのすくすく育つ生長の早さ、中空の形状、また、年間を通じてみずみずしい青さを保つことから「聖人君子」を意味するとされてきました。
『梅』は、一年で一番早く、寒中でも百花にさきがけて咲き、芳香を放つことから新しい生命の誕生を意味しています。
これらのことから、『松竹梅』文様は「待つ・聖人君子・産め」を意味していると言えます。
結婚する若い二人に「聖人君子のような素晴らしい赤ちゃんが産まれることを期待していますよ。」というメッセージが込められた文様なのです。
松竹梅文様の着物や帯をお探しの方は、気軽にお問い合わせ、またはご来店下さい。
02/03: 「ウサギ」の文様にはこんな意味が込められています。
織絵屋の松山です。お客様から「私はウサギの柄が好きで、ウサギの文様がついた着物や帯をたくさん買っていますが、なぜ、他の動物に比べ、ウサギ文様の着物や帯が多いのですか?」という質問を受けました。
今回は、ウサギ文様について述べます。
確かに、鳥類は別として、動物文様の中でウサギ文様の着物や帯が一番多いですね。
ウサギ文様は、中国から『月とウサギの伝説』とともに伝えられたと言われています。
以来、日本では「古事記」の因幡の白ウサギや「十五夜お月さん」の餅つきウサギなど、様々なデザインのウサギ文様が使われてきました。
着物や帯に良く使われる理由は、一つにはウサギは愛と縁結びの神様の使いとされてきたからです。ですから、結婚式の披露宴の席などでもふさわしいですね。
また、十二支で方角を表す際、ウサギ(卯)の方角は東です。東は、朝陽が昇り、闇が明け、朝が訪れる方角です。つまり、「これからとても良いことが訪れますよ!」という意味が込められているので、縁起の良い吉祥文様なのです。
自分の生まれ年の干支を身に着けると招福になると言われますからウサギ(卯)年生まれに方には特におすすめです。また、向かい干支になる鶏『酉』年生まれの方が身に着けると厄除けになるとされています。
ウサギ文様の着物や帯をお探しの方は、気軽にお問合せ、またはご来店下さい。
02/02: 『椿』の文様にはこんな意味が込められています。
織絵屋の松山です。一年中、葉が青い木のことを常盤木(ときわぎ)と呼、古来、縁起の良いものとされていました。
今回は常盤木の『椿』の文様について述べます。
椿は、日本原産の木です。梅が中国から渡来する前は、最高の吉祥木とされていました。
平安時代には、椿は油や化粧品、また不老長寿の薬として大切にされていました。また、最も高貴な色とされていた紫を染める媒染剤として、椿の灰汁が使用されていたそうです。
そんなことから、椿の花は貴族の間では高貴な花、聖なる花として扱われていました。
室町時代に興った茶道の普及とともに、椿は茶花として脚光を浴びました。特に、遠州流の祖が好んだ椿文様は『遠州椿』と呼ばれ、今でも、着物や帯に良く使われています。
そんな中、武士の間では、椿は花が首から落ちることから縁起が悪いとされ、家紋には用いませんでした。
また、同じように遊女の間では梅毒に罹患し、花が落ちる女性が多かったことから、椿文様は敬遠されていたようです。
しかしながら、椿は、古来、吉祥木とされ、邪気を寄せ付けない呪木(じゅぼく)とされていました。
源氏物語34帖「若菜」では、鹿革で作られた蹴鞠(けまり)の穢れを祓うために、椿餅(つばいもち)を食する場面が描かれています。
これらのことから、椿文様の着物や帯は吉祥文様、厄除け文様として一年中、楽しんで良い文様と言えます。
02/01: 『桜』の文様にはこんな意味が込められています。
織絵屋の松山です。「私は桜の柄模様が好きなのですが、桜模様の着物は春しか着てはいけないでしょうか?」と、いう質問を度々受けます。今回は桜の文様について述べます。
満開の桜の下で料理を広げ、酒宴を開く花見は日本だけの文化だと言われています。
私も、毎年桜の開花を待ちわびる一人ですが、なぜ、日本人はこれほどまでに桜を愛しているのでしょうか?
桜(さくら)の語源は、「さ」は「田の神」を意味し、「くら」は「蔵、倉、鞍」など、座するところを意味しています。
つまり、桜は「田の神」の依り代なのです。
「田の神」に「さ・け」と「さ・かな」をささげ、日本人にとって一番大切な稲・米の豊作を祈願したのです。
これが花見の起源だと言われています。
桜の文様は五穀豊穣を表す吉祥文様で、とても目出度い文様なのです。
ですから、桜の文様の着物は、春に限らず、いつでも着られます。
それでも、季節感が気になる方は、枝木が描かれていない花だけの桜文様の着物を選びましょう。
桜文様の着物や帯をお探しの方は、気軽にお問合せ、またはご来店下さい。